ビスクドール工房、ジュモーとは?

ビスクドールとは、頭部が2度焼きした陶磁器で作られた人形で、18世紀から19世紀まで、フランスやドイツで作られていました。
そのビスクドールの中でもフランスのジュモー工房はビスクドールの最盛期を作り上げた工房として有名ですし、現在でもジュモーの人形は、ビスクドールの中でも別格の扱いで、かなりの高値で取り引きされています。

 

 

ジュモー工房ににおいて、父のピエール・ジュモーと、息子のエミール・ジュモーは、1842年から1899年まで、多くの作品を作り上げました。
ジュモー工房が1899年で実質的に終わってしまったのは、ドイツがビスクドールを量産し、安価に手に入る人形を作るようになったため、ジュモー工房のように高級品を丁寧に少しづつ作って行く工房はやっていけなくなったからなのです。

 

 

父のピエール・ジュモーの作品は、何とも言えない程愛くるしい顔の人形が、素晴らしいドレスを着ているという特徴があります。
ピエールは、人形のコスチュームに力を注いだので、まさに人間の高級ドレスとほぼ同じ品質のドレスを着ています。
1844年のパリ万博博覧会に出品し、衣装部門で賞を受けている程です。
ピエールの人形は、ドレスを作る裁縫師や衣装職人など、何十人ものスタッフがいたようです。

 

 

ピエールの人形は、戦乱の中、沢山の人形が紛失したので、現在残っているピエール・ジュモーの人形はかなりの希少価値があります。

 

 

息子のエミール・ジュモーは、1878年に父から工房を引き継ぎました。
それまでは人形のヘッドは別の工房で作らせていたのですが、エミールは自社でヘッドを作るようにし、品質も向上しました。
1867年の万博で銀メダルを受賞、その後も何度も金メダルを受賞しています。
1878年のパリ万国博覧会で金メダルを受賞してから、人形のボディにマークが付けられるようになりました。

 

 

エミールは個性的で豊かな表情の人形を数多く送り出しています。
黒人や東洋人をモデルにしたヘッドに、民族衣装を着せたものもあり、泣いたり、笑ったりした表情の人形も作りました。

 

 

エミールの夢は、フランスをビスクドール産業のリーダーにすることでした。
父ピエールの時代には殆ど宣伝をしませんでしたが、エミールは宣伝にも力を注ぎ、ジュモー工房は最盛期を迎えます。
また世界においても、ジュモー工房は人形産業界のリーダー的存在となりました。

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